HISAYOの説明書

長野県上田市出身。

 

1983年の早生まれ

帝王切開の麻酔が全く効かず、

母が死ぬ思いの中で生まれてきました。

 

 

ありがたいことに私は安産型で、

現在は3姉妹のお母ちゃんをしています。

 

 

 

海・山・川、アウトドアや旅行が趣味。

太陽に当たって体を動かすことが好き。

そして永住を考えるほどインドネシア バリ島が大好きです。

 

 

 

今の目標は、

リュック一つと自分の足で

一人旅をすること。

 

人生の目標は、

人と自然にやさしく生きること。

 

嫌いなことは、争いごと。

きれいごとは抜いて、純粋に平穏を日々願っています。

 

 

最終ゴールは、

私と関わってくれる全ての人が

少しでも元気になること

どんな人にも無条件に

その人その人の生き方の伴走者になることです。

 

 

 

 

 

サロンを開業する前は、

美容師・介護や看取り・納棺師の仕事に携わってきました。

 

 

自営業とはいえ

地位や名誉、財産を残すことにはそれほど興味がなくて

ただ思うことは、

母が命懸けで生み出してくれた尊い命をどう使おうか。

 

 

知らない世界があれば

知りに行ってみることの繰り返しを

シンプルに楽しんでいます。

 

 

思考・感情・行動

いくつもの心や身体の働きがある中で

本能から湧き出てくる感情を大切にしていたい。

 

日々の細かい気持ちの変化が

自分の本物の気持ちなのか

確かめながらゆっくりと進んでいます。

 

 

大人になるにつれて

なかなか表に出せず蓋をしてしまう本能。

自分の本当の気持ちと裏腹に

感情を押し殺して

思考だけで動いた時もあったり

どれだけ自分を苦しめてきたか。

よく泣いた。

 

睡眠導入剤を飲み続けて

死に方まで考えて

うつ病に片足を突っ込んだ

あの頃にはもう帰りたくないなぁ。

よく泣いてやっと気付いた。

 

 

周りの目より、自分の心。

 

 

腹の底から感じたことを

素直に受け取って

その感覚を外に出して

自分のの門を開けて生こう。

 

これに気付いてから

人生って変わるんだってことを知りました。

 

それからの私はよく笑う人になっていきました。

笑いの力はすごい。

 

 

 

もちろん泣くことも忘れないで。

笑うのと同じに大切。

 

涙って意外にも重たいんだね。

出すもの出して

軽くなったらスッキリする。

 

強くなんてなくてもいいんだよ。

メンタルとか、そんなのはそもそも強くなくていい。

 

 

 

 

座右の銘は、究極の”ド笑む”

 

 

 

 

私が生きている証として、

美容や介護の経験で

長年の修行を積んで培った知識と、

今ここに至るまでに見てきたこと、

聞いたきてきたこと、

してきたこと、

感じてきたこと

体験してきたこと

すべてをひっくるめて、

丸裸にお話ししています。

 

 

 

究極の”ど笑む”

ひさちゃんから吸収できる

2つのこと

 

『年齢を重ねてもキレイでいるために、本当に必要なこと』

 

『いつ死んでも後悔しない”毎日最適”の見つけ方』

 

 

 

 

 

~~ひさちゃんヒストリー~~

ここからはハンカチとティッシュをご用意の上お読みください(笑)

 

 

1983年 38歳スナック経営シングルマザーのもとに、帝王切開ほぼ麻酔効かずの状態で誕生。

(当時の兄12歳・姉14歳 ビーバップ大流行でやんちゃ盛り)

 

 

3歳  1人留守番が多い私に母がピアノを買ってくれた。

ピアノで、ドミソを覚える。

 

 

5歳  ママのとこに行く!と、ちょいちょい保育園を脱走。

 

 

8歳  父親の代わりを俺がする!と優しかった兄が、仕事中の事故で死去。(享年20歳)

夜も一人時間がほとんどとなり、死について考えたり、空想の世界や見えない世界の感覚に敏感な子供に進化する。

 

 

12歳  学校のピアノ伴奏の役割をたくさんもらい、自身満々期。負けず嫌いを発揮し、少し尖る。

 

 

17歳  九死に一生体験。

交通事故に遭い、頭蓋骨陥没骨折・脳内出血・全身打撲で集中治療室へ。

搬送が10分遅かったらこの世にはいなかったそう。

青い光の世界、あの世の手前?を見る。

 

 

ここの間にひさちゃんはDV夫との離婚でバツイチになり、そして子連れで再婚という更なるジェットコースター人生が開幕。

 

 

20歳  仕事の過労とストレスによりメニエール病を発症。

耳が聞こえづらくなり、めまい・倦怠感・幻覚・最終的には人に会うことが嫌になってしまい、鬱病に片足を突っ込んだ生活を送る。

1ヶ月に2度も3度も生理がきたり、気がつけば生理が3週間も続いていたことも。

この時医師からは"無排卵"と言われ、しばらくの間赤ちゃんを授かることができない状態を経験しました。

 

 

25歳  体質改善を試みながら、少しずつ健康に近づく。

本格的に自分のからだと向き合う!!と意思を固めた頃。

体質改善に良いことを次から次へと人体実験のように試し、健康ヲタクの道へ。笑

 

 

26歳  長年の体質改善の効果を成して、3姉妹の誕生までたどり着けたものの、子育てに体力と精神力がついていけずストレスで体重が激減。(当時身長160㎝/体重41㎏)

不眠・耳鳴り・低血圧・低体温(当時の平均体温は34.7度)に悩まされる。

体質改善を試みたものの、子育て・家事・仕事の中で自分の時間がほとんどとれず、やったりやらなかったり。

ただ、その中で唯一継続できたのが"よもぎ蒸し"でした。

 

 

28歳  Healing Salon Funnyを開業

よもぎ蒸しと出会ってから着々と身体が良い方向に変化していき、現在の平均体温は36.8度に。

玉汗1つもかけない体質だったのに、今ではサラリーマンにも負けないほど汗をかきながらラーメンを頬張れるように。

側でサポートしながら私の大きな変化を見ていた家族の一言から、よもぎ蒸しをライフワークにすることを決めました。

 

サロンをオープンしてから13年間体重をチェックしていますが、基礎代謝が安定して体重の変動が無くなりました。

 

最近は、、どうかな。笑

 

 

それからの私は、つまらないことをウジウジ考えたり睡眠導入剤を服用して眠りについていた湿っぽいような性格から、打って変わって"よく笑う人"になりました。

 

"笑う門には福来る"と昔の人は良く言ったもので、良いものや良い人・ことが自然と集まるように。

 

 

私だけでなく、他にも同じような悩みを抱えているんじゃないか?

ひょっとしたら、この辛かった経験が誰かの力になれるんじゃないか?

 

そんなことを思い、

【心と体を温める専門家】として、心地良いエネルギー循環をお手伝いをするためにサロンをオープンしました。

 

 

今日に至るまでに関わらせて頂いたお客様は、延べ20.000人。

たくさんの方の人生や体験に触れさせていただきました。

 

 

その一方2022年12月、友人の自死が身近で起こる出来事がありました。

優しくて真面目で人想いの友人の死はあまりにも早くて、悔しくて、悔やんでも悔やみきれない思いに渦巻く日々。

その出来事をきっかけに、現在はゲートキーパー『命の門番』について学びを深めることに決めました。

 

 

 

 

人生楽あれば苦あり。

どんな事があっても面白おかしく感じて生きていこう。

 

これが Funny 命名の由来です。

 

 

 

『Healing Salon Funny』は、笑顔の発電所となる私の原点。

ドキドキしながら起業届を出しに行った、いちばん最初のサロンです。

 

そこに続く、よもぎ蒸し・米ぬか酵素風呂『wakando』

自然と溶け合うウェルネスケア『長野リトリート』

すべての経験、知識をシェアリングする場所『Holistic care school sarasvati』

 

ここから広がる一人一人の健やかな暮らしと、

穏やかな笑みを見送る事が私の使命です^ ^

 

 

ここに来るとホッとする

がんばらなくていい

安心できる場所

本当に元気がなくて表に出られなくても

ここなら来れる

そんな場所で在りたい

     

 

    

涙もろい

究極のド笑む

ひさちゃんを

よろしくお願いします!